俳優指導者養成ゼミ俳優指導者になるためのイントロダクション・コース2003
トップページ ゼミ概要 講師のご紹介 "ZEMI"-News リンク 資料請求/お問い合わせ お申し込み サイトマップ

"ZEMI"-News

ゼミ・レポート
せつこのロンドン演劇
留学レポート
川南恵の
ステージアーツ系Blog
関西演劇ワークショップ
レポート
ゼミ・アシスタント募集(終了)
 
ゼミトップへ


せつこのロンドン演劇留学レポート

10月07月06月05月04月03月02月01月12月11月
最新記事へ タイトル一覧へ


帰国後レポートその2
書き込み日 2004/10/20

ロンドンでの最後の一ヶ月は、のみと闘う日々であったといっても過言ではありません。のみです。あの犬や猫にいるやつです。

そもそものみとの格闘はギリシャから始まりました。ギリシャののみは強力でした。日々の衣裳がTシャツに短パンと露出部分が多かったこともあり、それはそれはひどいことになりました。しかしそこはそれ、ギリシャです。車も走っていない島です。さもありなん。しかしまさかロンドンでまで、のみに苦しめられようとは。

最後の一ヶ月を過ごしたのは,ホリデーで一ヶ月間スペインに行って留守のイギリス人のお家(一軒家)。そこにいた猫2匹にのみがいました。
薬をまいたにもかかわらず、毎日ベットの上にぴょんぴょんはねるのみを発見し、あげくに「あ、顔にごみが」と、つまんでみたらのみだった日には(おまけに血がべったり)、さすがに精神的にまいってしまいました。
おそるべし、のみ。

しかしながらこの事件のおかげで、本来であればそんなに交流もなかったであろう家主の人々、そしてこの家族を紹介してくれた私の英語の先生・シーラと親密になったのも確か。悪いこともあれば、良いこともあるようです。

さて、ロンドンでは週1回、アレクサンダーテクニックの個人レッスンを受けていました。先生は日本人のよし先生。

アレクサンダーテクニックは、その名の通りアレクサンダー氏が始めたもの。彼はもともと役者さんだったそうなんですが、現役時代声が出なくなったらしい。病院にいって治療を受けても完治せず。そこで,悪い部分を見つけるべく、三面鏡で自分を観察、そして「喉の使い方のみが問題なわけではなく、彼が習慣的に行っている体全体の使い方が影響している」ことを発見、というのが始まりらしい。今では、イギリスの多くの音大や演劇学校でとりいれられているそうです。

普段意識していない自分の体の使い方(癖)を観察、よりよい体と意識の使い方をみつけよう、というこのテクニック、レッスンは治療的な要素も多く、3分の1くらいはベットに寝ている感じ。

そもそもこれを始めようと思ったのは、何か身体に関することを1つやりたいと思ったからでした。アレクサンダー・テクニックの名前は聞いていたけれど、実際やってみたのはこれが初めて。(行くまでは「姿勢が良くなるんだろうなあ」くらいに思っていました。)

初めてのレッスンで、よし先生から「アレクサンダー・テクニックとは」と「頭ー首ー背骨がちゃんと繋がっている状態が、一番感受性がよい」というお話。「へー、そうなのか」と,その時はぼんやり聞いていました。

レッスン開始から半年あまりたったある日のレッスンで、頭のてっぺんから足の先までが「通った!」と感じる瞬間がありました。それは「わー、私の身体!」と思った瞬間でもあり、とても心地よい経験でした。

1年弱のレッスンで、姿勢が良くなったかどうかはわかりませんが、自分の身体に対する意識が変わったのは確か。今までなんと無頓着だったことか。「自分を知る」、そこからしか次にいけないよなー、と、アレクサンダーの1年で思ったり。

ところで、最近胴体トレーニングというのを(日本で)始めたのですが、ここでは「胴体が柔らかく動く状態が、一番表現力豊かになる」といいます。これは結局アレクサンダーのいうところの「頭ー首ー背骨の関係」と同じことをいっているよう。同じ人間、アプローチの違いこそあれ、同じところに行き着くようです。

アレクサンダーの最終レッスン(これがイギリスでの最後のレッスンでもありました)、よし先生私の見えないところで手先を軽く動かすと(なので、私はどちらの手を動かしたのかわかりません)、私の手も彼が動かした方の手が自然に動いたのでした。驚く私によし先生「(気?を)送る方だけじゃなく、受ける方の状態もよくないとね」。
ふーん、じゃあ私の状態も良いのね。しかし、身体からのアプローチでこんなところまでゆけるとは。いや、身体だけが孤立しているわけじゃなし、全てが連動しているということか。

こうしてロンドンでの生活も終わりました。

この1年、マイズナー・テクニックを中心にいろいろなレッスンを受けました。もちろん全てすごい、と思ったわけではありません。でも多くは「なるほど」と思うところがなにかありました。で、思うこと。

「訓練する方法はいっぱいある」。

これが正解、というものはきっとない。それはその人それぞれに違うだろうし、またその時々に変わってゆくものかもしれません。しかし、確かにある。方法があるとは、なんと素敵なことか。

残念ながら日本では、ロンドンほど機会があるとはいえません。いやでもこれから増えてゆけばいい、だからこそ、まだまだ可能性がある。

そんなことを考える今日この頃です。

(完)





帰国後レポートその1
書き込み日 2004/10/19

日本に帰って一ヶ月あまりがたちました。

いやはや、1年はあっという間に過ぎました。帰ってきたときは逆カルチャーショックで、「えー、なんでこんなに日本人ばっかりなんだ!」「なんて広告だらけなんだ!」「なんて電車はきれいなんだ!」などなど衝撃を受けていたのですが、やっとそれにも慣れてきた感じです。

思い起こせば7月、ギリシャに向かってから以降の2ヶ月は、特に飛ぶように日々はすぎてゆきました。そんな最後のイギリス(ギリシャ)生活を少し振り返ってみます。

私が行ったのはギリシャはイドラ島。ここはバスも電車も走っていない、輸送機関は馬・らば・ロバのみというところ。そしてワークショップは「古代ギリシャ演劇を学ぶ」。

ギリシャに着いたのは夕方の5時半すぎ。ワークショップのオーガナイザー、コリナ(女性・52歳)が空港まで迎えに来てくれました。

そもそも、このワークショップに行くきっかけは、クラスメートのマリア。コリナは彼女の学生時代の同級生(ロンドンで同じドラマスクールに通っていたそうです)で、彼女とはイースターのパーティーの際、マリアの家で会ったことがありました。そんな関係で、行くまでの手配はマリアがしてくれていたのですが、彼女によると、着いたその日はワークショップの会場であるイドラ島には行かず(最終フェリーに間に合わないため)、アテネのホテルに泊まる予定とのこと。

コリナは魔女・もしくは魔法使いのおばあさんみたいな人です。小柄で鷲鼻、髪の毛は黒く長く、「にっこり」ではなく「にんまり」笑う人。出口を出ると、真正面に彼女が立っていたのでありました。挨拶もそこそこ、すたすたと歩き出す彼女。いや、ちょっと待って、私お金をおろさないと全くユーロは持ってません。じゃあ、と、ATMに行くも私のカードは使えず。「後にしなさい」と、彼女は足早に歩き始め、私は致し方なくついてゆくのみ。さっさとタクシーに乗り込み、ギリシャ語でなにやらやりとり。てっきりホテルに行くと思っていた私に「ここは暑いから今日中に島に行きましょう。あなた、スムーズに出てきたから最終フェリーに間に合うわ。」とのこと。島までどれくらいかかるの?との問いには「船による。早いのなら1時間半。遅いのだと2時間くらい」

さて、フェリー乗り場につき、切符売り場へ。厳しい表情でのやりとりの末(もちろんギリシャ語。さっぱり何が起こっているのかわかりません)切符を手にしたコリナ、振り向くなり「急いで」と、走り出したのでありました。

え、走るの?大きいスーツケースをごろごろ引きながらフェリーにむかったのだけれど、船はまさにに出発したところ。走り出した船に向かいコリナは切符を大きく振りながらギリシャ語で文句を言い、それに答え船の方もギリシャ語で応対。そしてなんと、船は戻ってきたのでありました。

そんな状態なのでみんな急いでます。「早く乗れ」と急き立てられ、あれよあれよという間に私は船に。遠ざかる船着き場からコリナ「一つ目で降りるのよー」という叫び声。「はーい」と言ったものの、一体誰が迎えてくれるの?なにがなんだかよくわからんが、確認するすべなし。

しかし、なにはさておき、海です。
地中海です。
真っ青です。
フェリーは水中翼船で(多分)、飛ぶように走ってゆきます。その名も「フライング・ドルフィン」。よくわからないけれど(しかもお金も持ってないけれど)、こんなにきれいだし、ま、いいか。そうして私のギリシャでの日々は始まったのでありました。

この島で、私は2週間あまり滞在したのですが、結果から言うと、ワークショップ自体は期待したほどではありませんでした。いや、期待していたものとは違ったものでした。

まず第一に、参加者が少なすぎたこと。私を入れて生徒は4人。しかもあとの3人はアメリカの大学生。そのうち演劇専攻者は1人。私以外は英語圏の人たちです。私はもっと他の国籍の人も参加するんだと思っていたんですね。少なくともギリシャの人とか。で、もっと演劇に携わっている人たちが。

コリナによると、いつもは15人から20人くらいの参加者があるそうなのですが、今年はオリンピックの関係で少なかったとのこと。しかし基本的には、このワークショップの中心人物であり、アメリカの大学の先生でもあるペギーが大学の授業の一環として生徒を連れてくる、その生徒たちがメインになっているよう。

第二に、もっと実際的な、身体を使ったりするクラスが中心だと思っていたのですが、意外と講義が多かったこと。もちろんギリシャダンスやマスクワークもやったんですが。

しかも、(これが一番ストレスになったのですが)なにかにつけ時間割通りに進まない。一応タイムテーブルはありました。しかし、ある日は夜遅くまでビデオ上映会をしたので、翌日の9時半開始を10時半に、など、常に予定が変わる。でも午後2時昼食、その後シエスタ(お昼寝)、晩御飯は9時、これだけは決して変わらない。

最初の1週間はそのいい加減さにイライラしっぱなしだったのですが、2週間目に入ってようやく、これが地中海気質というものね、と、それを楽しむことができるようになりました。結果的にはこの点が一番よかったように思います。その土地の生活を知る。その気候の中だからこそ、そういう生活をし、そこからああいう芝居が生まれるということ。

しかし、そういうことを差し引いてもワークショップ自体に不満があったことは確か。ワークショップ終了後、コリナにその旨は伝え(といっても私の英語力。どこまで伝わっているかは定かではありませんが)、それで私は気分すっきり。

しかしよくよく考えると、「この環境の中で(これが重要!とコリナ)古代ギリシャ演劇を知る」というこのワークショップのコンセプトに、もしかしたら私はまんまとはまっていたのかも。

ところで、ギリシャでは有名な野外円形劇場に国立劇場の芝居を見に行きました。これは本当にすばらしかった。なにがって、劇場が。

開演は日が沈むのを待っての夜9時半。野外の、しかもとても大きい劇場なのに、なんと声がはっきりと聞こえることか。そしてもう一つ、それが「国立劇場」の芝居であったこと。失礼ながら、ギリシャの演劇はもっと遅れているんじゃないかと思っていたんですね。ところがどうして、うまかった。役者はみんな歌えるし踊れるし。(しかし、おもしろかったかというと、そうでもなかったのですが。)自然の中での観劇を堪能したのでありました。

帰り際、コリナはサンダル型のライターを私にくれました。なんでもサンダルはギリシャ語で「サヨナラ」というそうです。こうして私の「ギリシャへの大冒険」は終わったのでありました。





1年コース、終了!
書き込み日 2004/07/05

インパルス・カンパニー1年コースが終わりました。

先週はお別れパーティーがクラスメートの1人マリア宅であり、夜中過ぎまで飲んだり歌ったり踊ったり。名残を惜しむといというよりは、酔っぱらった人から消えていった感じ。変にしんみりすることなく明るく楽しくコースは終わったのでありました。

さて、発表会は案の定大変でした。脚本分析まではなんとかなったものの、言葉を使うとなるとハードルがぐんと高くなります。

まず覚えるのに時間がかかる。もともと覚えるのが苦手な上に英語です。しかも確実に覚えていないと、忘れたときが大変です。日本語なら同じような意味の言葉がとっさにでてきますが、英語です。そんなわけにはいきません。忘れたら最後、なにも出てきません。そして相手の言っていることが理解できない(聞き取れない)ので、次の自分の台詞のきっかけがわからない。もちろん言葉だけに集中していたら何を言っているかわかります。しかし相手に集中していたら、相手の台詞は私にとってはただの音。言葉としてはなかなか入ってきません。

本番までに3回レッスンがあったのですが、その2回目、「次に何がおこるか予想してるね」とスコット。その通り。その大きな原因は自分の台詞のきっかけをつかむため、相手の台詞を「聞き」、自分の台詞の準備をしてしまっていたこと。
ま、しかし考えてみると、この2点に関しては日本語の台本でも同じことが起こるわけで、すこしばかり(?)余計に時間がかかるということなのかも。
しかし本番まではこれをクリアするのに必死でした。

相手役のトニーはとても人の良いおじさん。私が相手役になったと知るや、すぐに「あなたとやれて嬉しいよ」という電話をくれたりするような人なのですが、いかんせん彼の英語が聞き取りにくい。台本を持っているにもかかわらず、最初は彼が何を言っているのか全くわからず。が、しかし、台本をもらってから約4週間後の発表会にはそれも聞き取れるようになり、2回あった発表会は無事、楽しく終わりました。

発表会は作品を見せるというのではなく、このコースでやってきたことをみせる、というもの。まずリピティションをし、そのままシーンに入っていくという方法で進みました。これはなかなかにうまくいきました。「台詞は川に浮かぶボートのようなもの」で、台詞はリピティションをしているのと同じことだというマイズナー・テクニックのやり方が見えやすかったのではないかと思います。私たちにしても、すっと相手に集中することができ、リピティションの良さを改めて体感した感じ。

ところで前日、クラスメートのロビンに頼んで発音チェック。「イタリー(イタリア)の発音が違う」とか暫くみてくれた後、「発音なんてそんな問題じゃないよ」と彼。それはそうかも。いまさら発音を気にしてもな、と思いながら臨んだ本番だったのですが、終わってから、もし私がイギリス人ならああいう風には言わないんだろうなあ、とか考えたり。全体の抑揚とか、強弱の付け方とか。1つ1つの発音のことよりも、多分そういったことを掴むのが英語でやるときに大変なのかも、とか思ったりして。

いやしかし、1年のコースが終わりました。

次は7月中旬にワークショップを受けにギリシャの島へ行きます。
はてはて、どうなることやら。





戯曲分析
書き込み日 2004/06/02

テキストです。英語の戯曲です。英語で芝居です。

テキストに入っての最初のクラスは、「the breaking the back of the script」。
私が渡されたのは「The Homecoming」という戯曲のワンシーン。相手役はトニーというおじさま。私のパートはほとんど台詞はなく、ただただ聞くばかり。この日、トニーはお休みで、代わりにスコットがやってくれました。
台詞が少なくて良かった、と、ちょっと一安心。
そして、戯曲分析の説明。

戯曲分析。
まず、前提として
1.キャラクターを「彼」もしくは「彼女」として扱う。(「私」としては扱わない)

2.自分のキャラクターが入ってきたところから、去ったところまでをワンシーンとして扱う。

そのうえで、3つの質問;
A) シーンが始まるまでに、キャラクターが持っている情報はなにか?
B) シーンの中で、キャラクターは実際何をしているのか?
C)キャラクターのニーズはなにか?

A) 感情的なものや疑問の余地があるものは全て省き、事実だけをリストアップします。
B) なるだけシンプルに考えます。例えば「彼女は××さんと、昨日の授業のことについて話している」とか。
C) (=A)+B))ここでいう「ニーズ」とは、「このシーンでのキャラクターの目的」とかいうのとはちょっと違います。もう少し広くみて、A)・B)の答えから導き出される、キャラクターが欲していること。

これが初回の宿題になり、その次のクラスで、一人一人それを発表。その後シーンを(座ったままで)やりました。みんなそれぞれ違った戯曲をもらっているのですが、他の人がどんな戯曲をやっているのか、私にはほとんど理解できません。戯曲分析に関してもしかり。もちろんのことながら、話がいろんな方向に飛ぶので(いろんの種類の戯曲が登場するので)、なんの話をしているのかなかなかあたりがつけにくい。そんなわけで、私の分析に関してしかはっきりしたやりとりがわからなかったのがとても残念なところでありました。

そして私の分析。お話は、ある夫婦が夫の実家(父親とその息子たちが住む、男の人ばかりの家)に帰ってきます。で、最終的に妻は全ての人と関係を持つ、という話しらしい。(そのシーンしか読んでいないので詳しいことはわかりません)

A) 彼女の名前はルース
  彼女はテディーと結婚して6年になります
  レニーは彼女の夫の弟です
  彼女は夫とヨーロッパ旅行をしている途中です
  彼らはここに来る前に,ベニスに行きました
  彼女は今、夫の実家にいます
  これが初めての訪問です
  彼らはここに着いたばかりです

B) 彼女はレニーの質問に返事をしています
  彼女は彼の話を聞いています
  彼女はレニーに渡されたコップの水を飲んでいます

C) 夫を理解したい
  (もしくは)夫についての情報を得たい
  (もしくは)素敵な家庭をつくりたい

A)B)までは、ふむふむと聞いていたスコットだったのですが、C)を読みあげたところで、「え?なんで?}と納得いかない様子。「彼女自身のことというより、彼女のまわりのことばかりじゃないか?」とスコット。

うーむ、そうかも。

「じゃあ、なんで情報を得たいの?」
え?なんで?

行き詰まった私を見て、スコットはみんなに質問。「今のA)B)を聞いて、彼女のニーズは何だと思う?」みんないろいろ言ってくれる中、ローランドの「セキュリティーを得たい」という案をスコットが拾いあげ、どう?」と私に提案。
最初はあまりぴんとこず。「うーん、そんなのもありかも」くらいに考えていたのですが、いやいやどうして、とても良いかも。

私の問題は、おそらくA)B)をふまえた、というよりは、全体の印象からニーズを考えた、ということ。そうすると、可能性の幅が狭まってしまうのかも。

そうして、シーン・エクササイズはまだまだ続きます。





最後のリピティション
書き込み日 2004/05/04

イースターホリデーあけのインパルス・カンパニー(木曜夜)は、最後のリピティションエクササイズ集中デー。この後、6月6日の発表会にむけ、シーン稽古にはいります。
スコットのコメントもいつもより細かく、昨年9月に始めてからの全てを統括してのもの。
集中した、しまりのあるクラスでありました。

しかし、なぜだか男性2人のエクササイズになると、どうも戦いがちになるのはなぜなのかしらん?そして男女のペアは甘い空気になりがち。そして最近よく話題になるのは、コールについての話し。「よいコールか悪いコールか」。

例えば、誰かが三角座りで座り込んでしまった時に「あなたは少女だ」とコールしたのは、いいのか悪いのか。または男女のペアの時に、女性が緊迫した空気をとくべく(と、私には見えました)立っていた姿勢から突然ゆったりと座ったのに対し、男性が「あなたは私を誘っている」というコールをしたのはいいのか、とか。

「それはジャッジしていることになるからいけない」とか「いや、それはインパルスだからいい」とか意見が飛び交っていましたが、私はそんなに討論するほどのことではないように思いながら聞いていました。いや、討論するほどのことはない、というのはちょっと違うか。

コールをどのように使うか、またはコールはどのようにあるべかというのを確認(もしくは討論)するのは重要だと思うのですが、「よいコールか悪いコールか」ということに焦点をおくと、まるで「よいエクササイズ」がありえるみたいになってしまうのでは。そうすると、エクササイズにとらわれてしまうというか、エクササイズが「目的」になってしまうというか。

だいたい、このエクササイズに言葉は関係ないのではなかったのか。とかいろいろ考えていたものの、結局何も言えず。

相変わらず一番最後のエクササイズに私は参加。相手のビディアはとてもパワフルで、私もすごいパワーをもらった感じ。
しかし、最近の私の相手は、傾向としてみんな笑いながら私から逃げる。そして「ユー・アー・ファニー」とエクササイズの後(もしくはエクササイズ中)私に言う。
なぜ?私、おかしいの?何が??

ところで、レギュラークラスじゃないドロップインのクラスで、ある人に私のリピティションエクササイズは「全く違う」と言われました。それは私が言葉ができないことに関係あるのかも。

何かというと、私はコールの内容に全くとらわれない、ということ。
レギュラークラスのみんながエクササイズ中に使う語彙はだいたいわかるようになったのだけれど、初めて顔を会わす人がいっぱいいるドロップインクラスでの語彙はわからないことが多い。だからコールの内容にとらわれようがないのです。で、ドロップインクラスに行き始めた頃は、聞き取れないことに戸惑うことも多かったのですが、「言葉を気にするな」という先生方のアドバイスで、今はほとんど聞き取れないことで引いてしまうことはなくなりました。

しかしみんなをみていると、やはり言葉に振り回されることが多いように思います。コールする方もされる方も。それほど言葉の力は強いということなのでしょう。

一番始めにスコットは、言葉ができないのは私の強みだと言いましたが、今つくづくそうだなあ、と思います。と同時に、やはり弱みだなあとも。だって英語でやっている限り、それほど強い言葉の意味をなくすという、このテクニックの大きな目的の1つは体感することはできないのですから。はたして日本語でやったとき、今と同じくらい言葉の意味をなくすことができるのか。興味のあるところです。

次回からとうとうテキストです。英語です。自分のものになっていない言語で、どこまでできるものなのか。楽しみでもありますが、若干気が重い今日この頃です。





  ページトップへ


Network Unit Duo copyright (c) 2003 ネットワークユニット Duo. All rights reserved.